前回のエントリから2ヶ月以上が経過した。
先月は、世界最小のRIAプラットフォームとして紹介されているDLNA対応のDegital Photo Frameを作った。(写真は、naotakegymnanisium:mtよりお借りした。)
以下に書いた事柄を、「ハードウェアにおける第三の波」と定義した。
先日iPhoneのFirmwareを1.1.1にUpdateしたのだが、POBoxを搭載したキーボードによる日本語入力の対応やiTunes Music Storeや、カメラ撮影時のシャッター音など実に様々な機能が追加された。
これだけ豊富なアップデートは、「320x480のディスプレイとホームボタンのみ」というハードウェアの特性だからこそ可能になったのではないだろうか?日本の携帯のハードウェアでは、ソフトウェアだけでこれほど大規模なアップデートは不可能である。ハードウェアの形状やデザインがソフトウェアに多くの制限をかけており、新しいソフトウェアキーボードは追加できても、今の科学では新しい物理的なボタンをネットワーク経由で追加する事は不可能だからだ。
21世紀は、ハードウェアとソフトウェアの融合がキーワードだと思うが、このフィールドで勝負する時に忘れてはいけないのが次の点ではないだろうか。
- ネットワークに接続可能なアドホクラシーなハードウェア
- プロシュマーによるオープンイノベーション
- ヒューマンフレンドリーなコミュニケーション
一つ目の「アドホクラシーなハードウェア」という言葉は、一言で言うならば、ソフトウェアによる機能追加等を最大限可能にするため、ハードウェアでの制限はなるべく取り除くという考え方である。ソフトウェアの更新により劇的な進化をユーザに感じてもらうには、ハードウェアは(外見的には)シンプルであるべきである。
二つ目のメッセージは、一つ目のキーワードを満たしたハードウェアが本当に価値を発揮するのは、多くのプロシューマー(生産消費者: ユーザでありながら創作活動を行う人々)を巻き込んだ時である。iPhoneに優れた多くのネイティブアプリが登場している事からも明白である。ソフトウェアによる更新が可能なハードウェアは、今後ますますオープンになっていくだろう。多くのプロシューマーを取り込めるプラットフォームを作った物が勝者となる。
三つ目は、機械と人間のコミュニケーションについてである。
技術は、「人と人とのコミュニケーションをより便利にしたい」という欲求と共に進化してきたが、今、劇的に変化が求められているのは、「人と機械のコミュニケーション」ではないだろうか?私がMacbookとコミュニケーションする手段は、キーボードによる入力が95%以上を占めている。内蔵されたiSlightによるコミュニケーションも可能であるが、カメラを使用するのは、SkypeやCamera, Videoオブジェクトを使用したFlashを作っているWebページぐらいである。キーボードはプログラミングのような文字入力に適した入力インタフェースであるかもしれないが、果たして多機能化されたPC上の全ての行動に最適な入力ユーザインタフェースだろうか?
故障していない限り、全てのPCはキーボード上のキーをタイプすればその入力を電気信号に変換し、アプリケーションに伝え適切な処理を行う。こちらがコミュニケーション方法を間違えれば、機械も全く同じように間違える。
もし、人間同士とのコミュニケーションならば、こちらが間違えたとしても、相手が頭の中のフィルターを通し適切な情報、もしくは自己に都合の良いように解釈する。そして指摘すれば学習する。これから重要になると考えている技術の一つは、人間がアバウトに伝えても人間が伝えたい事を解釈し機械が補足してくれる仕組みとユーザインタフェースにおける"学習"である。
PC一つで様々なニーズを満たせるようなった。様々なアプリケーションが開発されチップの性能も格段に進化した。そして、今後はそれらの技術が"したい事"に特化したモノへと還元されていくのではないだろうか?
これらの事が実現する世界では、ますます事象同士のつながりや相互作用をとらえ、どういう組み合わせに可能性があるのか?を実世界の経験をベースに考えていかなければならない。そして、そんなアツい思いを実現する事に夢中になれるクレイジーな連中と新しい会社を立ち上げる事にした。