l'essentiel est invisible pour les yeux

Tuesday, February 13, 2007

[雑記] 技術は気合?

私はドリコムで3年間プログラミングのいろはを教わり、学生ベンチャーが上場企業へと変化していくところを肌で感じさせていただいた。本当にお世話になった。

第三四半期の決算発表の影響もありS安となり某掲示板での議論もヒートアップしている。
上場前大株主であった主要取引先の第三者割り当てにより約2億の売り上げで上場を果たし、ロックアップ解除後全株売却による利益を受け取った大株主の企業。私には経営学についての知識が無いのでトップマネジメントのIPOの意思決定について正しいか?正しくないか?を理論的に考える事はできない。

ただ技術者として次の記事中の二点がどうしても納得がいかない。

足りないもの

  • 最高技術責任者の「技術者は気合だ」とも解釈できる発言
  • 技術者において気合が、一人ひとりをスーパーサイヤ人にすると結論付けられている点

まず、技術は気合ではない。
技術者のモチベーションは気合で高まるものではない。
本当に最高技術責任者の発言だろうか?と疑いたくなる。

この記事では「技術者の仕事の質を何と定義するか?」について具体的に書かれていない。
最も売り上げ構成比が高いのがブログ事業である事から、カスタマイズや導入などの能率を仕事の質と定義するなら、生産性が上がらない事は個人の責任ではなく、知識労働者である技術者のマネージメントに根本的な問題があるだろう。それらはトップマネジメントの仕事である。能率や生産性を技術者の仕事の質と定義すれば、技術者一人一人に"スーパーサイヤ人のような役割"(ブログ参照)を期待する事は矛盾している。

人を魅了する新サービスを開発する能力を技術者の質と定義するなら、「技術者に足りないのは気合」と最高技術責任者が語る会社に自分が作り出すサービスに強烈に情熱や愛情を注ぎ込む優秀な技術者が集まるだろうか?

技術者は気合により突き動かされる人種ではない。
自らが生み出すサービスへの情熱や愛情、そして社会的認知される事が技術者をつきうごかす。
本物の技術者が持つ物は気合ではなく、魂である。

技術者に気合を求め、"ヒーロー"(ブログ参照)である事を求める。
この前提で集まる優秀な技術者の顔がどうしても見えてこない。
本当に高い技術力をコア・コンピタンスとするなら考え方を改める必要があるだろう。


もう一点。
もう学生ベンチャーではないので、"スーパーサイヤ人"とか"ヒーロー"という単語ではなくそれ相応の用語を用いるべきだと思う。他の事でCEOが目立ってしまうからこそ、そういった発言一つ一つに注意を向け適切な言葉を用いる上場企業としての自覚が必要ではないだろうか。


追記
「どうも会社も100人を超え、大きくなってくると昔のようにスーパーサイヤ人のような勢いですごい結果を出す人の割合が相対的に減ってきた気がする。」と言う言葉をみて、テクノロジストの条件第6章のベンチャーのマネジメント(この章はイノベーションと起業家精神より抜粋)が頭によぎった。社員数約130人、気合などで企業の成長をマネジメントできる人数の限界を超えてしまった結果であろう。